昨日、テレビで由紀さおりさんの歌の秘密を探る番組を放送していました。
今、ヨーロッパやアメリカで由紀さんの歌がとても喜ばれていて、「1969」というCDが売れている、というニュースは少し前からよく耳にしていたので、興味深くみました。
由紀さんは、コンサートをする国の言葉で歌うのではなくて、どこででも日本語で歌うのだそうです。
お客さんは、きっと言葉の意味はわからないのだと思うのですが、素晴らしい!と感激していました。そして、海が見えた、とか、気持ちが良かった、と感じるのだとか。
番組では、その不思議を、いろいろな学者の先生が分析していました。日本語の母音の多さを生かして、なおかつ大切に歌っていること、歌声自体に普通の人の声よりもふくよかさがあること、などの科学的な根拠もあるし、ひとつのフレーズに入る単語の数が欧米の言葉よりも日本語は少ないという音楽の構造のこともあるそうです。
芸術に対して、なぜ良いのか?ということ程、言葉にできないことはないと思います。なんか良いよね、という曖昧な感想の中にすべてが収まっているような気がします。
由紀さんが『小さい秋みつけた』という童謡を例に出してお話していました。
小さい秋って何ですか?小さい秋、という単語は季節のうつろいを表しているのであって形はないのです。ある晩、虫の声に気がついた、八百屋さんに昨日までなかった柿や栗といった秋の味覚が並んでいた、T シャツでは肌寒いと感じた、、、そんなことが小さい秋なのです。ひとつの言葉の後ろにある世界を表現しようと歌っている、というお話でした。
言葉の奥にあることを由紀さんがイメージして歌うことで、聴く人に伝わっているようです。
コメンテーターのアメリカ出身で日本で詩人をしていらっしゃるアーサー ビナードさんが、面白い分析をしていました。アメリカで成功しようと多くの日本人が挑戦し続けていても上手くいかないのに、由紀さんの歌がヒットしたのはなぜですか?という質問に対して、由紀さんはアメリカの人を見て歌っているのではなくて、ただ言葉、歌詞を見つめて表現しようとだけだからだというのです。なるほどな〜と思いました。純粋に伝えたいことを伝えようとすることが、結果として共感を得ているということですね。
豊かな才能と確かな技術+伝えようとする心、それがあの歌声なのだな、と納得してしまいました。
ということは!器楽曲には歌詞はないので、由紀さんの歌を日本語を知らない人が聴いているのと似たような条件ではないでしょうか?どんな人にも心地よく届けることが可能だということがいえると思います。音色の後ろに伝えたいことを含めて演奏することができたら、伝わるということです。そう思うと大きな気持ちになりますが、日々の小さな訓練の積み重ね、これで良いのかどうか自分に問い続けて考え続けること、自分がどう感じているかを見つめること、といった努力が’結果を生むことをあらためて思い知らされます。
写真は先日泊まった御殿場のホテルのラウンジから見えた富士山です。こんな風景を音で伝えられたら幸せなことですね。由紀さんの歌は、日本語の素晴らしさ、日本の素晴らしさ、文化を空気振動で世界中に伝えてくれているんだなと思ったら、ライブで聴いてみたくなりました。